法律力について私が知っている二、三の事柄

小飼弾氏のこのエントリとかこのエントリを読んで、『法律力養成講座』は読んでいないが、「法律」と「法律力」について、現役法学部生として2、3気になったことを*1
 

1.「常に公共の福祉のために」ではない。


本当は怖い日本国憲法

第12条この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

「不断の努力」ですよ。

「常に公共の福祉のために」ですよ。

違います。「常に責任を負う」です。「ご利用は責任を持って」ということです。「義務」でもないです。
日本国憲法は、文章的には悪文なので、変な文章が出てきたら、オリジナルの英文に当たってみることをオススメします。

The Constitution of Japan

Article 12. The freedoms and rights guaranteed to the people by this Constitution shall be maintained by the constant endeavor of the people, who shall refrain from any abuse of these freedoms and rights and shall always be responsible for utilizing them for the public welfare. (太字筆者)

「always utilizing them...」ではない、と。
 

2.「他者の権利」と申されましても

心を射抜く一冊 - 書評 - 六法で身につける 荘司雅彦の法律力養成講座

そう。著者は「公共の福祉」を「他者の権利」と言い換えてよいと言い切っているのである。

ここまではっきりと言い切ってくれた法律家は、他に居なかったのではないだろうか。

エントリ内で言及されているほど「具体的な」他者ではないってことじゃないですかね。
社会契約論関係で、より抽象的な、「可能な」他者という言葉を聞いたことがあります。つまり、社会契約論的に言えば、国家というのは我々と「可能な他者」を含む「国民」の合意によって成り立っているのであるから、国家によって保護が与えられる「我々の権利行使」というのは、「可能な他者の権利」=「公共の福祉」を侵害せず、よって我々の隣人となりうる「可能な他者」の同意を得られるものでなくてはならない。というような。
だから、宇奈月温泉事件みたいなことをすると怒られるわけだし、だから、上述「公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」場合でも、他人に迷惑をかけない範囲でバカなことをしても許されるわけですよ。
 

3.「リアルな法律力」というのも欲しいよね。

もはや、自衛隊を合憲とするのは、今の憲法では不可能でしょう。

と言い切っている。この状態の放置は、まさに法律力の欠如の結果なのである。

『法律力養成講座』を読んでいないので詳しいことは分からないが、とりあえずこの点だけは文句が言えるんじゃないかな、という気はする*2
たとえ「自衛隊違憲」という判決を最高裁が出しても執行されることはまずないし、そこで執行されなきゃ最高裁の権威はガタ落ち、三権分立さえ危うくなる、というようなことに思いを致している人の少なさと言ったら悲しくなるぐらいだとリアリストを自称する私なんかは思うんですけどね。「法律」というのは単なる実社会へのプログラミングでも公式でもなく、時としてキナ臭い政治の場で運用されるものであることをお忘れなきよう*3。それも「法律力」かと。



ちなみにタイトルはホッテントリメーカーでございます。

*1:なんと、ブログタイトルとは裏腹に、本ブログ初の法律関係エントリっぽい。

*2:読んでいないのにあんまり文句を言うと、どこかの会社の偉い人に怒られるかもしれないが

*3:あと、変な判例を出してこの問題に深入りしなかった裁判所の苦労も察してあげるべきであろう。