プロフィールに「尊敬する人」を書くべきでない3つの理由

プロフィールに「尊敬する人」欄を作るという行為が全く理解できない。
というわけでもないけれど、プロフィールの「尊敬する人」欄というのは、以下の理由により、情報としての価値が低い。また、それらは、後述の誤ったメッセージを読み手に伝えることがあるという危険性から、私は滅多に「尊敬する人」という用語を使わない。
 
第一に、普通のプロフィールの「尊敬する人」欄には、尊敬する理由が書かれていない。書かれていたとしても、凡庸で一般的な事のみで、情報として何の足しにもならない。
興味のある相手がラーメン好きであることが分かったところで相手の人となりについてほとんど分からない。これと同じで、「尊敬する人」を尊敬する理由なくしては、相手が坂本竜馬を尊敬していることが分かったところで、プロフィールが果たすべき「自らの人となりを伝える」という役割は果たされない。
 
第二に、「尊敬する人」が定型的すぎて、定義より他人との差別化を図るべき「プロフィール」において、その役割を果たしていない。
「尊敬する人は誰ですか?」と聞かれて、「坂本竜馬」と「松下幸之助」と「父/母」と答える人の数を合計すると、日本人口の2倍になるという統計もありそう*1なぐらい、巷の「尊敬する人」はありふれている。このあたりの回答は、はっきりいって、「私は日本人です」とか「私は男/女です」といった回答と同じくらい価値がない。この程度の回答なら、小学校時代のニックネームの方が、情報としてはるかに価値がある。
 
第三に、「尊敬」という言葉自体、インフレ気味で、安っぽい。プロフィールに「尊敬する人」20人ぐらい並べる人は、「尊び」「敬う」という超重要な動作をなんと心得ているのかと。もうそれ、「好き」や「興味ある」とドコが違うんだと。「尊敬」というのは、ほら、もっと神聖で、本気で、一生に1人か2人、滅多なことでは出会えないような、深いものではないのかと。
あと、「尊敬」の軽いバージョンとして、「尊軽」という単語を思いついたのだが、某所で「完全にバカにしきってますwww」と言われたので、やはりダメっぽい。
 
あと、プロフィールといえば、話の口火になることもしばしばだが、もしかしたらこの世には、「あなたも坂本竜馬を尊敬してるんですか!私もです!」という話し出しで始まる会話もあるのかもしれない。世界は広い。
 
なお、以下は、よくある「尊敬する人」のタイプ別に、その由来や隠されたメッセージなどを、私が勝手にまとめたものである。独断と偏見がたっぷり混じっているので、あまり本気にしないように。

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司馬遼太郎関係(鉄板)
坂本竜馬→『竜馬がゆく
土方歳三→『燃えよ剣』(最初「萌予見」って出た。orz)
秋山兄弟・児玉源太郎→『坂の上の雲
 
○○病関係
ヒトラー中二病
ニーチェ高二病
ウィトゲンシュタインあたりで大二病
 
こうなりたい!関係
スティーブ・ジョブズ→プレゼンうまくなりたい!
糸井重里→チョイ悪オヤジになりたい!
加藤鷹→ゴッドフィンガーになりたい!
小飼弾→マッチョになりたい!
 
○○な自分をアピール(笑)関係
勝間和代→知的生産でデキる自分
ムハマド・ユヌス→貧しきを救おうとする心の広い自分
緒方貞子→同上
松下幸之助本田宗一郎→日本式経営戦略で世界に羽ばたく自分
手塚治虫ほか漫画家→クリエイディブだけど、型にはまらない自分
 
その他
丹羽宇一郎→体育会系企業戦士
富野由悠季→UCガノタ
梅田望夫→じつはITに詳しくない一般企業の人が多いと聞きます。
水村美苗→「日本語は滅びる!」「な、なんだ(ry」
親→存じ上げませんので分かりません。

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とかいうエントリを書いたら、性格悪い人決定ですね。いやもう書いちまったけど。
 
ちなみに私は、戸田恵里香と新垣由衣なら、断然前者です。

*1:いや、ないだろうけど。