『ローマ亡き後の地中海世界 下』〜塩野七生がエロくないから困る


『ローマ亡き後の地中海世界 下』
 
最近、塩野先生がエロくなくて困っています。
ちょっと前までは、あれだけ鼻息荒く発情して、スキピオ・アフリカヌスハァハァ、カエサルハァハァ、アウグストゥスハァハァしていたのに、賢帝の世紀が終わるころから大人しくなり始め、コンスタンティヌスやユリアヌスあたりで一時期の色気を取り戻すものの、キリスト教の影響か、その後めっきり枯れてしまわれた。
シリーズの実質的最終巻になる可能性のある本作でも、アンドレア・ドーリアに食指を動かすかと思えばそうでもなく、塩野先生の色香に誘われて『ローマ人の物語』ファンになった身としては、非常に寂しい。
 
・・・というのは多少下品な書き方だが、早くて『賢帝の世紀』以降、遅くとも『最後の努力』より後は、『ローマ人の物語』の重心が、歴史を彩る「イイオトコ」から「歴史の流れ」に、本作の用語法に従えば、「木」から「森」にシフトしてきてしまい、彼女の描く「イイオトコ」を楽しみにしてきた身としては、寂寥感が拭えない。
 
もちろん、本作でも述べられいるように、地中海世界断トツのスーパーパワーであったローマ帝国の一極支配が崩壊し、内に多数の諸侯を抱える封建王国の時代となっては、「木」を見て「森」を見るのも難しくなってくるのだろう。また、コスモポリス崩と多神教の寛容な精神の崩壊後の世界では、彼女の理想とする人材が育たなかったというのも一つあるのかもしれない*1
だが、その点を考慮に入れたとしても、ローマ帝国後期以降の人物を描く彼女の筆遣いには、本来ならば最低限度の書き込みとして感じられてよいはずの生気さえ感じられない。中世末期ヨーロッパの海の主役、傭兵隊長アンドレア・ドーリアや、オスマンの海軍帝国バルバロッサなども、「軍事」に優秀なパラメーターを割り振られたゲームのキャラクターのような描かれ方になってしまったのはどうしたものか。「小説でも歴史書でもない」というのがこのシリーズの売りだったはずだが、いきいきとした登場人物がいなくなってしまったら、これはもう「面白めの歴史書」ではないのか。作品のジャンルが違うかもしれないが、『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』の脇役の方が、本書の主役級よりも魅力的だったりすることも多々あるのだ。
 
もし次回作があるのなら、塩野先生、この際「いい年こいて発情したババア」でもいいじゃないですか!また鼻息荒く力強く、セクシーなイイオトコたちの伝説を書ききってくださいよ!楽しみにしてますよ!

*1:その証拠に、コスモポリタンであった神聖ローマ皇帝フリードリッヒ2世は、かなり魅力的かつ同情を込めて描かれている。