『モダンタイムス』〜伊坂幸太郎はペシミストになったのか

モダンタイムス (Morning NOVELS)

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ゴールデンスランバー』より約1年ぶりの、伊坂幸太郎最新作。もしかしたら、彼の作品の中で最長かもしれない。タイムラインでいえば、『魔王』の続編に当たる。

相も変わらず伊坂幸太郎という人は読ませる人で、今回も500ページ超をほぼ1日で読んでしまった。amazonレビューなら余裕で5つ星をつけるところであるが、2点ほど気になるところが。

まず、第一は、タイトルに書いたとおり、伊坂幸太郎氏がペシミスティックになっていないか、という点。おそらく、本作のテーマの一つとして、「システム対個人」というものがある。国家をはじめとする自己保存と自己強化を推し進める巨大なシステムの前にあっては、個人というちっぽけな存在はいかに無力であるか、その点が、他のどの作品よりも強調され、著者に認識されているように感じられたのである。「そういうことになっている」という現実の前では、「そういうこと」に流されるしかないのか。このテーマは、伊坂氏が「双子の作品」と呼ぶ『ゴールデンスランバー』にも共通しているが、本作ではより前面に出てきている。
私は、今までの作品を読む限り、伊坂氏は悲観的というより楽観的な小説家だと思っていた。他の作品でも、窮地(というほど窮地でないことが多いが)に陥った主人公が、先々から丹念に集められていた伏線や、あるいは超人的で魅力的な登場人物に助けられてハッピーエンド、という流れが多かったし、そのあたりの演出というかストーリーテリングの上手さが、著者の必殺技であった。例えば、『終末のフール』では、世界の終焉が間近に迫る、つまり「世界が滅亡することになっている」中、それでも負けじと希望を持って生きる人たちが描かれていたし、もうすぐ映画化されるらしい(こちら参照)『フィッシュストーリー』では、場末のバンドが曲にこめたメッセージが世界を救っていた。
一方、『魔王』に始まり、『ゴールデンスランバー』を経て本作『モダンタイムス』に至る作品群においては、主人公達は「世界を変える」とか「あきらめない」といったマッチョさ*1からは程遠く、ほぼ逃げに回っている。もちろんそれは小説の面白さを何ら損なうものではないが、明るい伊坂作品が好きな私にとってはなんとなく寂しいものがある。
 
第二に、かつての伊坂作品にくらべると、著者お得意の伏線張りが弱い気がする。もちろん、読みはじめからは予想もしえなかった方向にどんどん転がっていき、最終的にどんでん返し、というのは唸らされるのだが、伊坂作品史上最も芸術的な伏線芸を披露した(と、私は思っている)『ゴールデンスランバー』に比べると、かなり地味な作風である。相変わらず奇抜な登場人物や設定から考えると、リアリティを追求したわけでもないと思うのだが。

あと、ついでが4つほど。その1、『魔王』で登場した『死神の精度』の千葉さんを再登場させて欲しかった。その2、挿絵が入れてある特別版があるなら、先に言って欲しかった。というか、私が気づかなかっただけですが。その3、それにしても映画化がどんどん続く人である。『フィッシュストーリー』の前に『重力ピエロ』の公開もあるし。個人的には、『砂漠』を映画化して、サンボ山口さんを主演の一人に迎え入れてあげて欲しい。その4、実は名前が似ていたり、旧帝の法学部だったりと共通点の多い伊坂さん、親近感湧きます。なんていうと怒られるだろうか。申し訳ない。

*1:まあ伊坂作品にこのテのマッチョは少ないが。その点、なんとなく貞本義行を思い起こさせるものがこの小説家にはあるような。