『ぐれる!』〜中島義道が勝間和代とカツマーの欺瞞を白昼のもとに晒すようです
勝間和代の放言というのは、いわば麻薬のようなもので、「知的生産(笑)」と言いながら、その実は、人間の本質を嘘と虚言と一般論で覆い隠し、その尊厳を奪って、本質的価値のない無機質な情報を垂れ流す機械へと変えてしまう、現代の恐ろしい罠なのである。
どうせ我々は100年も生きられないのに、長くても残り60年かそこらで死んでしまい、その後30年もすれば忘れ去られてしまうのに、明日地震が起こるかもしれず、可能性は低いかもしれないけど後から刺されるかもしれないのに、そして、この地球という星でさえ、いつ滅びるか分からないのに、そんな不条理な世の中なのに、「起きていることはすべて正しい」なんて、欺瞞以外の何物でもない。そんな宣言、この不条理に目をつぶり、脳味噌沸かせて生きるだけの、ペテンでしかない。
メンタル筋力?そんなものメンタル筋力などではなく、メンタル麻薬中毒度でしかない。人生の本質を直視せず、「カネ」を生み出す「情報」と「人脈」ばかりにフォーカスした氏の生き方は、単なるマヤカシではなく、暴力的な、あまりに暴力的な企てであると言わざるを得ない。口先だけは他人とのWin-Winを唱えても、中心にあるのは、あくまで自分のWin。他人のWinは、将来的な自分のWinへの踏み台でしかない。「必要なもの」を得るための「不要なもの」は肯定しても、絶対的に「不要なもの」は、命がけで認めず、抑圧し、唾棄する。人々の一般化できないほどの差異を徹底的に無視し、「最善」という名の一般論で世界を支配する。
怒りも、妬みも、愚痴も、非常に人間的な、これ以上ないほど人間的な感情表現であるにも関わらず、それをすてるなんて とんでもない!人類が生まれてこの方、怒りや妬みが、どれだけ豊穣な文化を生み出してきたことか。たとえそれらの結果がなくとも、怒りや妬みのない人間など、どれだけ「人間」であることか。勝間和代は、われわれ俗人に、悟りを開いた坊主になれとでもいうのか。怒り、妬み、愚痴こそ、この地上で人間だけが持つ高度の「知的」衝動に他ならないのに*1、それを捨てた上で「知的生産」など、笑止千万。
コミュニケーション方法を「アサーティブ」によって支配することで、「アサーティブ」というシステムに載せられない情報を事前に排除し、検閲による「ゆるやかな支配」を確立する。事前に、見えないところで自由の首を絞める、卑怯な「アーキテクチャによる支配」がここに誕生する。コミュニケーションのシステムに載せられない主張を持つ者は、事前に排斥され、社会的に抹殺される。社会的影響力の強い「強者」あるいは「マッチョ」であるにも関わらず、彼らの意見を「非生産的」「非建設的」というシステムの壁で斥け、自らに、自らのみに都合のいい世界を打ちたてようとするのが、そしてその暴力的思想に搾取されていることを知らずに追従し続けるのが、勝間和代と哀れなカツマー達なのである。
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なお『「哲学実技」のすすめ』は筆者未読だが、少なくとも本エントリと関係ある部分もあるので、取り上げておいた。
*1:動物のアレは「警戒」だろうよ